指宿ロイヤルホテル

周辺地域の観光

HOW TO SPEND

【ホテルから巡る旅のストーリー】
雄大な自然や、土地の歴史に触れ、
充実した気持ちになれる立ち寄り先として、
当ホテルが大切なお客様におすすめしたい、
地元のパワースポットをご紹介しています。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.01

今和泉 篤姫ゆかりの地

指宿市今和泉郷。幼稚園、小学校、高校と学び舎が立ち並ぶ裏手の松林を抜けると、桜島を背に凛とたたずむ一人の女の子の像があります。彼女の名前は「於一(おかつ)」、のちの天璋院篤姫。薩摩藩主島津家の御一門で、指宿を領地としていた今和泉島津家に生まれた篤姫は、 18歳で江戸幕府に請われ13代将軍徳川家定の3人目の正室として江戸城大奥に上がります。時は幕末の動乱期、夫の死後、落飾し天璋院となった篤姫を取り巻く状況も新時代に向けて急激に変化します。奇しくも生家である薩摩と嫁ぎ先の徳川幕府の間に立たされてしまった彼女の葛藤はいかばかりだったでしょう。しかし篤姫はあくまで徳川の人間として戦闘回避に尽力し、結果「江戸無血開城」という極めて穏やかな政権交代が実現。守られた大都市東京を中心に日本は近代化へと大きく舵を切り現代の礎に繋がっていくのです。「女の道は一本道。定めに背き引き返すは恥である」幼いころの養育係菊本の言葉通り、嫁いで以降47歳で亡くなるまで、終ぞ故郷である鹿児島には戻ることのなかった篤姫。貴方の“覚悟”が繋いでくれた今の世で、私も、私の一本道を確かに歩いていきたいです。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.02

砂むし会館 砂楽

波打ち際に湯気の立つ、思わず2度見どころか3度見したくなる風景が広がる指宿市摺ヶ浜。ここにある指宿市営の砂むし会館「砂楽」では、年間を通じ指宿温泉の代名詞でもある砂むし温泉を楽しむことができます。指宿での砂むしの歴史はかなり古く、1547年にフランシスコ=ザビエルへの渡航事前情報として書かれた「日本見聞記」にも、当時の人々が砂むしで体を癒している様子が書かれているそう。しかし、いくつもの火山帯が連なり温泉の湧く場所は他にたくさんありながら、なぜ世界で唯一指宿だけにこうした場が出現するのか、そもそも海の下に沈む熱源はどのように維持されているのかなど、そのメカニズムは長年多くの謎に包まれてきました。指宿港海岸整備に伴う最近の調査で徐々に解明が進みつつありますが、内陸部の地下環境や潮の満ち引き、更には鉄分を多く含んだ浜砂の絶妙な熱伝導率など、いくつもの条件が重なり生まれた奇跡的な場所であることに間違いありません。ザビエルより一足先にやってきた神が、思わずサイコロを取り落としてしまったかのような偶然の重なる不思議な自然現象に、あなたも身をゆだねてはいかがでしょうか。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.03

指宿港と濱崎太平次

まぶしい朝日を浴びる一隻の船。指宿港からは、種子島・屋久島行き高速船「トッピー」で離島にまで足を延ばすことができます。そんな海運の玄関口に隣接する公園に、指宿が生んだ豪商第八代濱崎太平次の像があります。太平次は篤姫や西郷隆盛らと同じ幕末に、「ヤマキ」の屋号で指宿を拠点に活躍した藩の御用海商でした。当時薩摩藩の財政は元々厳しいところに、幕府からの負担金や藩事業の出費が重なりまさに破綻寸前。財政再建を命じられた家老調所広郷は、鹿児島の南に開けた海運ルートを活用し、海商達に離島で生産した黒砂糖や、琉球貿易にかこつけて密輸した海産品を流通させ収益力強化を図りました。後に薩摩の近代化を推し進めた経済力基盤は、濱崎太平次ら指宿の海商たちの豪胆な活躍ぶりによって支えられたのです。「湊の潮は減ってもヤマキの金は減らない」と言われるほど巨万の富を築いたビジネスの覇者。うーん、あやかりたいもんだ。「まぁまぁ、待てば海路の日和ありやっど。ゆっくい行かんか。」そんな野太い笑い声が聞こえた気がする。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.04

山川製塩工場跡(伏目海岸)

空に向かいそびえ立つ奇岩の姿は、さながら“指宿のマチュピチュ”のよう。マグマが地表に吹き出る寸前に冷えて固まり形成された「竹山」のふもとに広がる伏目海岸は、砂むしや絶景が望める露天風呂で人気のエリアですが、ここに全国的にも珍しい産業遺産があります。「山川製塩工場跡」は昭和19年から20年間に渡り、この一帯で行われていた温泉を利用しての製塩事業の名残を今に伝えるもの。当時温泉を使った製塩は全国各地で行われていましたが、その後の技術向上や生産過剰などから徐々に衰退、最後まで操業を続けていたのがここ指宿地域だったのだそうです。指宿の温泉からできるお塩の味、ちょっと体験してみたかったな。建物はもう無く当時の塩田跡だけを残す遺構と、今でも力強く吹きあがり続ける大地の恵み。時代の流れと共に“変わっていくもの”と“変わらずにいるもの” が共生しているこの場所に、私はときどきふらりと来たくなるのです。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.05

長崎鼻

薩摩半島最南端の岬、長崎鼻。マグマが海に向かって伸びて出来た荒々しい質感の岩肌に、寄せる波の砕ける様は、なんだかまるで別の惑星に降り立ったような錯覚さえ覚えます。この地には浦島太郎で知られる竜宮伝説も残っているのですが、そういえばあの話、“実は宇宙に行ってたんじゃ…”みたいな説がありましたよね。浦島太郎が果たして指宿人だったのか、タイやヒラメは本当に舞い踊ったのか、定かではありませんが、長崎鼻灯台の北側にある竜宮神社に祀られた乙姫様のモデルでもある「豊玉姫(トヨタマヒメ)」は海上救護の女神と伝わることから、この岬の横を通って外洋に向け出発していく船の無事な航海を祈った人々の切なる思いがあったことは真実に違いありません。今のようにネットやスマホで簡単にはつながれない時代、海の向こうに旅立った大切な人を感じたいとすればどうしただろうか。平坦ではない溶岩の道を、少しでも先へ先へ、陸と波の境界線まで。「薩摩娘は 長崎鼻の海を眺めて 君慕う(鹿児島南薩民謡「南国情話」より)」きっと其のとおりね。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.06

カフェマーリーから
見える開聞岳

国道226線沿いにあるカフェマーリー。白を基調にしたお洒落な店内はどこも素敵ですが、海に面して大きく開けた窓際からは、日本百名山の一つにも数えられる「開聞岳」の雄大な姿を楽しむことができます。縄文時代に誕生した開聞岳は、その後複数回の噴火によって溶岩や火山砕屑物が重なりながら成長した火山。「薩摩富士」とも称される滑らかな円錐形が美しい現在の姿は、平安時代の仁和元年(西暦885年)に起こった最後の大噴火で形成されたものだそう。地球の時間で考えたらつい最近ですよね。ひとまず今は、活動お休み中のもようです。2合目にある登山口から山頂までは約3時間、らせん状のなだらかな登山道は四季折々の樹木を楽しみながら初心者でも登りやすくおすすめです。登山はちょっと大変という方は、ここカフェマーリーでゆったりお茶をしながら開聞岳を眺めましょう。私も居心地の良さについつい長居し、気づけば窓の向こうは“今日が海の彼方に沈む” 時間…。夕暮れを受け入れるのには慣れたはずなのに、今日はもう少しだけ「今」に留まっていたいなぁ。茜さす帰路、ひさしぶりに林檎ちゃんを聴きながら車を走らせようか。
(椎名林檎『茜さす 帰路照らされど…』(1999))

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.07

番所鼻自然公園

ホテルから西に車を走らせること1時間。南九州市頴娃町に番所鼻自然公園はあります。町名は「えい」その先は「ばんどころばな」。地域の人々からは「ばんしょばな」とも呼ばれて親しまれているそう。地名の由来になった番所とは、かつて警備にあたる番人が詰めるために設けられた施設で、今でいう交番のようなところでしょうか。同じ江戸時代、国土の正確な姿をあらわす日本地図を作りたい一心で、自らの足で全国を測量してまわっていた伊能忠敬が「天下の絶景」と言い残した逸話で有名ですが、彼がここを訪れたのは66歳のころ。現役生活に一区切りつけたのち、自らが情熱を傾ける仕事でありながら日本の美しい場所を旅して歩く、そんな時間を愛したいわば「ワーケーションの先駆者」が見た風景と時間に思いを馳せながら、今日はちょっとだけ自分とワークの心地よい関係を見つめてみたりして。抜けるような春夏の青空はもちろんですが、秋冬の午後、沈みゆく太陽にあたりながら、お気に入りの一曲(私はキリンジのエイリアンズにしました)を波音に重ねて聴くのも、なんともおしゃれなひと時でおすすめですよ。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.08

射楯兵主神社(釜蓋神社)

赤い鳥居をくぐると目に入るのはズラリとならんだ釜の蓋。射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)、通称「釜蓋神社」です。私はよくお客様から「なべふた神社」と尋ねられることが多い(笑)のですが、それにしてもどうして釜蓋?なんでも昔々このあたりを訪れた天智天皇をもてなすためにお米を蒸していたところ、突如起こった突風で釜の蓋が飛ばされてこの地に落ち、それを祀ったのが始まりだとか。空から降ってきた釜蓋を大切にお祀りしてしまう南九州の人たちのほんわかとした様子は、今も昔も変わらない気がします。御祭神は八岐大蛇を退治したことで知られるスサノオノミコト。武の神様と仰がれ、戦時中には“釜蓋を被って参拝すると無事に帰ってこられる”と多くの出兵兵やその家族が訪れたのだそうです。現代でも勝負事に強い神社としてスポーツ選手や芸能人が祈願に訪れたことで一躍有名となり、お仕事の成功を願うビジネスマンなども多く参拝されるのだとか。あたまに乗せた釜蓋を落とさず鳥居をくぐれたら、炊き立てご飯をたっぷり食べて、さぁ私も勝負掛けますか!

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.09

知覧 武家屋敷群

その街並みに足を踏み入れた瞬間、空気がトーンを増すようで、思わず襟元を正したくなる。南九州市知覧は、かつて薩摩藩の武士が暮らした武家集落が今でも残る、数少ない場所のひとつです。薩摩藩主島津家の城は天守閣を持たない平城で、これは質素倹約を重んじた家風とも、徳川幕府への恭順を示すためだったとも言われます。代わりに薩摩は領地を113の区画に割り「麓」と呼ばれる集落に武士を分散して住まわせ、普段は農業をして暮らしながら有事の際には挙兵する独自の軍事態勢を敷いていました。知覧麓も自然に囲まれたのどかな場所でありながら、かぎ型に折れ曲がった本馬場通りや、屋敷の門と家屋の間に配置された生け垣など侵入者に備えた様子に、当時の武士たちのキリリとした緊張感を感じることができます。どの時代も、静かで穏やかな時間の中だけで過ごせるなら、どんなに幸せなのでしょう。国を守る本分に生きた人たちが、「確かに生きた」ことを知る旧い石積みが、しっとりと重く、あたたかくて、少しだけ胸がきゅっとする。そんな知覧です。

指宿ロイヤルホテル TOURIST SPOT.10

こもそ浜と山川港

「あの浜では虚無僧が湯治をしちょい(してるよ)」そんな噂が地元民の間でささやかれ始めたのは、いつの頃のことか。指宿ロイヤルホテルの目の前に広がる砂浜には歴史的にも面白い逸話が残ります。小さな湾を挟んで対岸に見える港町「山川」は、今では鰹節で有名ですが、江戸時代には薩摩藩の琉球貿易の玄関口として栄えた港でした。ところがその一部は幕府に隠れた密貿易。この「抜け荷」によって着実に財力を付けていく薩摩の動きを警戒した江戸幕府はひそかに密偵を送り込みます。スパイ達は怪しまれないよう、当時の普化宗の修行僧に変装し、山川港を見張れるこの浜辺までやって来たという。そして冒頭の噂話へ。指宿まで旅をしてきた虚無僧が温泉で疲れを癒している、名もなき小さな砂浜は、実態とはウラハラの呑気で平和なクチコミから、虚無僧浜、やがて「こもそ浜(古毛曽浜)」と呼ばれるようになりましたとさ。現代社会の様々な密命にお疲れの皆さま、今宵はこもそ浜に沸くお湯で、ゆっくりとお過ごし下さい。

今回記事を書いた人

Yuri

指宿ロイヤルホテル

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